つまりタイミング

■本当に

 

メジャーリーグとか、NBAとか、まじで連覇むじーってか単発で勝のもむじい。

 

だが、タイミングが有った時に、いい選手がいて、勝てているチームがかてるかだ。

 

タイミングが合っている時に、勝ちきれるかどうか、がポイント。

合ってない時は勝てません。

 

ただ、

 

 

合っている時は、万難を排して勝ちにいくべきです。そこだけです。

投手もおさえるとこだけおさえればいい。

 

 

 

負け試合は学ぶ場、勝ち試合は勝てばいい。

 

負けて、負けて、負けて、負けてきたんだろうが。

 

今、今

 

 

 

ここでなりふり構わずに勝て。

今、今

今今。

誰か教えてくれる訳じゃないけど。

 

野球とかならチャンスとか目に見えて分かるけど。

 

今今。

 

そう感じた事がすべて。

 

打算とか、思惑とか、算段とか、そういうのを超越して、脳が開くときをマツ。

 

そのためにあきらめる。明らかに極める。パーセーブ。胆力をもっておく。

 

論点突破とラグビー

ラグビーのルールは

すごく複雑なのもあるけど、おいておくと、結果ボールを前に投げてはダメ、蹴るのならあり。

是は結構深い。

 

 

敵が前からきた!なんてときは

ボールを回す、ということをよくやる。

 

 

敵を攪乱するためにってときも

ボールを回す。

 

しかし、ボールを回す限りにおいては、基本的に後ろにボールが回っている。

貰った人間が前に走っていかなければならない。

 

そして何よりもポイントが、どこかでは敵の圧力と対峙しなければならない。

 

だから、ボールを回すというのは、こちらが最も有利な状況、つまりこちらが敵よりも高い圧力を出せるポイントでぶつかりにいかなければならない(ラグビー知らない人すみません)。

 

これは、

 

ある課題が有った時に、周囲の外堀を埋めるような議論をし、結果回答を出さなければならない事項に触れていない時がボールを回している時で、

 

実際のその問題のための動きをしている時がラグビーで言うところの相手との接点で押し合いへし合いをしているときであると言い換えられる。

 

課題解決の議論においても両方必要で、どのタイミング何をすべきかがにセンスが問われるのだろう。

 

 

日々逃げ切って生きるってのは生きてるのか

■ たいてい3時くらいから帰ろうかな

今日やる事はだいたい3時までには終えて、2時間はようは何もしてないことがある。本当にやらないと行けない事ってどれくらい有るのだろうか?とか言い出したらどうだろう

 

■ だいたい

自分がやらなきゃ誰がやる? いや いない だから俺がやる

という仕事がどれくらいあるのだろうか

自分がやらなきゃ誰かやる じゃーどうぞ

みたいな仕事が大半な気もする。

 

ただ、誰がやる?っていえるくらいの重責ある仕事に就くためには誰かがやるかもしれない仕事をコツコツとやっていくしかないのだろう。

 

■世を託ちたいたいわけでもないし、強く肯定したい訳でもない

 

ただ最近は早く帰りたいだけ。

パーでまわるゴルフでいいじゃんって、今は小学校1年生、2年生くらいのやらされている勉強をしている感じで、そりゃー伸びないよねって思う今日この頃。

脳が回転しない。

笑顔で聞き流すこと、ひっかからず聞き流すことしかできない。

 

ま、そうやって歳をとってある程度後悔もしつつも、そういう器やったんかなと思うのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

暗示って大切

■ 要は 脳が働くか

 

今日眠れてないなーとか、あんまりよい予感がしないなーとか「思って」いても

脳が勝手に動き出すときがあって、なんかかなりサクサクいくよねって時がある。

これは例えば作業を行う瞬間よりも前、例えば前日の夜とかに明日が勝負だ!とか

明日乗り切ればなんとかなるとか軽い暗示があって、こいつが結構きいていたりする。

 

■電車に乗る前におもったんだけど

結構思う内容っていうのは自分で決められる。よいように思うとか、わるい要にとらえようとか、でもたまにそれを超えて、単純に脳がすっきりしているから動ける、つまり思いとか関係なく起動して軌道にのるときがある。

 

ああいう状態っていうのをキープできたら、よりよくいきれるんだけどね。なんか思うこととかをコントロールしにいこうとすると、結果疲れてしまい本末転倒なきがする。

脳が起動するスイッチは何か?ということには強い興味が有る。

これは個人それぞれでことなるはずだし、自分のスイッチをしっていると是は強いと思う。

ビックワードがいっぱい と 少しの疑問

■世の中には思考停止ワードがあふれている。

ある言葉を出すとなんとなく納得したような、理解したような、説得したような、気分になる言葉が有る。

 

「グローバル」とか「地域再生」とか「35歳だから」とか「〜だから」とつく言葉はだいぶ怪しい。

 

こういった思考停止ワードがあると一旦分かったような風になるし、何となくそこで議論が終わる傾向が強い。なぜだろうか。

 

思うにこれらの言葉がよく使われる言葉で、大抵の人が一度は聞いた事があって

ふにゃっと自分なりの定義があるような概念だからではないだろうか。

だからこんな言葉が出現すると、あーあれかってことで一旦自分の定義に当てはめて納得できてしまう、しかし落とし穴は相手と同じ定義なのかどうか?ということにある。

■とはいえチャンス

議論を行う時に土俵が同じかどうか確認する事は大事。

そういう意味で、こういうビックワードが出てくるたびにどういう意味かを

詰めておけるのは、議論を進める意味ではよい機会。

最近この土俵が結構ゆるいなかで相撲をとろうとする人がかなりの数いるのだなと思うので備忘的メモ。

 

<PS>

本当は長期的には長く健康に幸福に生きていきたいとか是は例だけど、長期目標が有るのに、時に短期的にそういうことに対して全く逆の効果をもたらす物事をおこなってしまうのはなぜだろうか。

 

一番健康で、楽しみが有る今の30代の時期に、早く65位になって引退したいなとかって思ってしまうのってなんでだろうか?