論点突破とラグビー
■ラグビーのルールは
すごく複雑なのもあるけど、おいておくと、結果ボールを前に投げてはダメ、蹴るのならあり。
是は結構深い。
敵が前からきた!なんてときは
ボールを回す、ということをよくやる。
敵を攪乱するためにってときも
ボールを回す。
しかし、ボールを回す限りにおいては、基本的に後ろにボールが回っている。
貰った人間が前に走っていかなければならない。
そして何よりもポイントが、どこかでは敵の圧力と対峙しなければならない。
だから、ボールを回すというのは、こちらが最も有利な状況、つまりこちらが敵よりも高い圧力を出せるポイントでぶつかりにいかなければならない(ラグビー知らない人すみません)。
これは、
ある課題が有った時に、周囲の外堀を埋めるような議論をし、結果回答を出さなければならない事項に触れていない時がボールを回している時で、
実際のその問題のための動きをしている時がラグビーで言うところの相手との接点で押し合いへし合いをしているときであると言い換えられる。
課題解決の議論においても両方必要で、どのタイミング何をすべきかがにセンスが問われるのだろう。
日々逃げ切って生きるってのは生きてるのか
■ たいてい3時くらいから帰ろうかな
今日やる事はだいたい3時までには終えて、2時間はようは何もしてないことがある。本当にやらないと行けない事ってどれくらい有るのだろうか?とか言い出したらどうだろう
■ だいたい
自分がやらなきゃ誰がやる? いや いない だから俺がやる
という仕事がどれくらいあるのだろうか
自分がやらなきゃ誰かやる じゃーどうぞ
みたいな仕事が大半な気もする。
ただ、誰がやる?っていえるくらいの重責ある仕事に就くためには誰かがやるかもしれない仕事をコツコツとやっていくしかないのだろう。
■世を託ちたいたいわけでもないし、強く肯定したい訳でもない
ただ最近は早く帰りたいだけ。
パーでまわるゴルフでいいじゃんって、今は小学校1年生、2年生くらいのやらされている勉強をしている感じで、そりゃー伸びないよねって思う今日この頃。
脳が回転しない。
笑顔で聞き流すこと、ひっかからず聞き流すことしかできない。
ま、そうやって歳をとってある程度後悔もしつつも、そういう器やったんかなと思うのだろうか。
暗示って大切
■ 要は 脳が働くか
今日眠れてないなーとか、あんまりよい予感がしないなーとか「思って」いても
脳が勝手に動き出すときがあって、なんかかなりサクサクいくよねって時がある。
これは例えば作業を行う瞬間よりも前、例えば前日の夜とかに明日が勝負だ!とか
明日乗り切ればなんとかなるとか軽い暗示があって、こいつが結構きいていたりする。
■電車に乗る前におもったんだけど
結構思う内容っていうのは自分で決められる。よいように思うとか、わるい要にとらえようとか、でもたまにそれを超えて、単純に脳がすっきりしているから動ける、つまり思いとか関係なく起動して軌道にのるときがある。
ああいう状態っていうのをキープできたら、よりよくいきれるんだけどね。なんか思うこととかをコントロールしにいこうとすると、結果疲れてしまい本末転倒なきがする。
脳が起動するスイッチは何か?ということには強い興味が有る。
これは個人それぞれでことなるはずだし、自分のスイッチをしっていると是は強いと思う。
ビックワードがいっぱい と 少しの疑問
■世の中には思考停止ワードがあふれている。
ある言葉を出すとなんとなく納得したような、理解したような、説得したような、気分になる言葉が有る。
「グローバル」とか「地域再生」とか「35歳だから」とか「〜だから」とつく言葉はだいぶ怪しい。
こういった思考停止ワードがあると一旦分かったような風になるし、何となくそこで議論が終わる傾向が強い。なぜだろうか。
思うにこれらの言葉がよく使われる言葉で、大抵の人が一度は聞いた事があって
ふにゃっと自分なりの定義があるような概念だからではないだろうか。
だからこんな言葉が出現すると、あーあれかってことで一旦自分の定義に当てはめて納得できてしまう、しかし落とし穴は相手と同じ定義なのかどうか?ということにある。
■とはいえチャンス
議論を行う時に土俵が同じかどうか確認する事は大事。
そういう意味で、こういうビックワードが出てくるたびにどういう意味かを
詰めておけるのは、議論を進める意味ではよい機会。
最近この土俵が結構ゆるいなかで相撲をとろうとする人がかなりの数いるのだなと思うので備忘的メモ。
<PS>
本当は長期的には長く健康に幸福に生きていきたいとか是は例だけど、長期目標が有るのに、時に短期的にそういうことに対して全く逆の効果をもたらす物事をおこなってしまうのはなぜだろうか。
一番健康で、楽しみが有る今の30代の時期に、早く65位になって引退したいなとかって思ってしまうのってなんでだろうか?
あるあるより、ないない
■そんな時代もああったねとー
いつか笑える日が来るさ。
ということで、いわゆるキャリアとかを語る上で「経験」っていうのは重要で
よく転職活動の時に聞かれるのは「今まで苦労したことはなんですかそしてそれをどのように乗り越えましたか?」みたいな質問なのですが
大抵、「あるあるノ話からの有る有るの話」という枠組みで話が聞けてしまい面白みが足りません。
いいたいのは、よく有る苦労話から、よくある改善話からのうまく行きましたという
よくある話。
だからないないノ話からスタートせよ
「え?そんな話まじであるんすか?」レベルのやべー話。
営業いっていたら、同僚が川に流されていた、なぜか?未曾有の台風が列島を襲った日が、月末締め日で、鬼の支店長が、当然今日も詰めてこい!!の号令、、、からの
増水経由の、同僚が橋の位置分からなくて結果川にはまり流されてまして・・・
みたいな、鬼詰めの話からの、営業方針の転換の提案、云々の方がはるかにリアルだし、力がついたと思うし、過去の話を笑い飛ばせる度量を今持てたという評価もできるというもの。
今つらい思いをしている人は実は乗り切れれば、つまりあるあるの話にもっていければ
こんなにおいしい話はない、怖いのは悶々としているだけの人。結果あるあるの苦労話にすらならないかもしれない危険な状態。
合い言葉は次郎 否 全ツッパ
■ いやー気もちいよね
ひとを巻き込んでいける人って結局勢い、圧力、行動力色々表現は有るけど
近くにいると、人体の何らかの箇所がすごくフワフワさせられて、気がついたらこちらも興奮してずどんと前に進んでいるような、言いたいのはそういう人の近くに入れると自分も動ける気がするし、気がついたら行動するようになっているって言う事。
■人間は環境の動物だー
と、いわれてはいるけど、知っている事を経験するというのはなんと大事な事であろうか、そして見回せば経験できるし、実体験できることのいかに多い事。
■ぜんつっぱ精神
追い込まれてからの必死のパッチ、ミスショットからのリカバリー、エラーをした後のタイムリーヒット、常にミスはつきものだし、やっぱりうまくいっている状態がそもそも少ない。
ゼンッツパの言葉の意味、少なくともこれを使っている人がどういう意味でつかっているか聞き忘れたけど、圧倒的に行動している彼の合い言葉はゼンッツッパ、追い込まれてからはなりふり構わず結果を出しにいくという、やるだけ精神。なるほどうなるぜ。
■僕は暇なのかもしれない。
ここだけの話、追い込まれていないってことかもしれない。追い込まれたくないし、そういう人生もありだと思うけど、ぜんつっぱなひとが見えている世界もうらやましい。
感じ方の違い
■就業意欲って日によってかわるよね
今日のやる気はそこそこであった。多分はれていたから。これくらいで回復するなら別に対したい事はない。
パーセーブ。
やる気がないときに、いかにセーブできるかがきもかもしれない。
やる気を出す事は操作できない。むしろそうでない時の方が多い。
そうでない時にどう所作するか?
何を目的とするか?
やる気の回復なのか?
培った信頼を失わない程度の働きなのか?
戦略とはまったく具体性に乏しいし、わかりづらいが、判断に迷う時、思考停止したとき、ボクサーでいうところの殴り合っているときの無意識状態のとき、どう体が反応するか、それが大事。