キャラ被り

■社会人

15年近くやってくると、得意な人、とそうでない人が出てくる。

自分は圧倒的に、自己承認欲求の高いおじさんに強い。

世に言う、ややこしい人々である。

何かにつけて、「俺すごくない?」を連発する、「●●がなっていない、俺はみんなの将来のためにあえて言っている」などなど、一般論でうっとおしい人々である。

 

この種の人たちにであうと、私は「いける!!、与し易い」と思う。

 

■コントロールフリーク

私はコントロールしやすい人、自分の予想通り動く単純な人々が好きだ。

驚きがないからだ。そして、往往にしてこの種の人々はまともでないので

私の尋常ではない、うっかり、ぽっかり、どっこいしょにも目くじらを立てない。

彼らに重要なのは「認めてもらうこと」「辛さをわかってもらうこと」この切り口のみ。

ここだけを押さえておけば話を聞いてなくても、好かれる。むしろ聞いてないほうがいいくらいだ。まともに取り合うと、意図と違う場合に機嫌を損ねる可能性があるから。

 

だから「すごいっすね」@まじっすか@なるほどですねを10秒おきに話すくらいでいい。自分の話はいらない、黙ればいい。

 

■一方

まともな人、と言うか、自尊心が高く、承認欲求もすでに満たされているため

強くない、つまりコントロールできない人々、が苦手である。要は本物の人だ。

実力もあり、人徳もあるし、人間味もあれば、飲み会も強い、みたいな六角形が大きい人が苦手だ。コントロールできないし、正論で攻めてくる。

 

彼らは攻めてるつもりはないし、実際よくわからないのだろう、打刻をしない、ルールを守れない人のことを。大目にみてよ!が通じないわけで、従属的にならざるおえない。

ルールだから

 

やらないといけないことをできてないから

 

従わないとねってことで、これが結構地味に心にくるのだ。

 

寝技が通じないと言うことで、欠点があるから人間だよね?みたいなウェットなことは

通じないわけで、大変だ。

 

■だから

世の中で、学歴や容姿や仕事や家庭やで打ちひしがれながらも、肩肘張っているおっさんは私には必要。彼らと共生しているわけだ。変わった人と言うのは私にはフィットするので、これは強みである。

 

ややこしいおじさんの話の気持ち、要諦がすぐにわかる。

見えているのだ

「もっと俺を見てくれよー」と言う気持ちが。

 

「実際●●しているのは▶︎さんのおかげですね」はキーワードなのだろう。

 

どんなに厳しい言葉をかける狂い人でも、要はそこだけなのだ。

 

■では

まともな人とどう対応しようか。

まともな人なんかいないんじゃないの?

近づくしかないね、六角形を見てもどうなの、これってそこまできちんとしているかしら?って言うことかもしれない。私としてはそう言うところまで踏み込めていないのかもしれない。

コントロールの観点は承認以外にもあるのでは?

喜怒哀楽 怒る、悲しみを想起させる、楽しませる、、、、