COVID 19来襲 → Life Review Time
●人間の分断
本当に社会を分断するウィルスである。
どこまで気をつけても社会の絆を、人と人とのつながりを巧妙に壊していく。
そこに目をつけたか!地球よという感じ。
致死率は他ウィルスより圧倒的に低いが一方で、人間通しに争いを起こさせる。
地球が飲んだ薬が今回の禍では, 勘ぐってしまう。
●濃厚感染者接触
わかっちゃいるけど辞められない、不要不急の外出。
ワクチンがない中で、基本リスク0はなくて(誰でも知っているはずですが)
社会が感染には慣れてきているから、不要不急の外出、集まりが実行される。
うっかり3蜜がない場所で、リスクが低そうだから開催した後で
参加者が濃厚接触者と指定されたと後から判明するとそれは事でして。
今回もそういう事案がありました。
●健康的リスクと社会的リスク
今回の1件で思ったのはCOVID19罹患に際して2つほどリスクがある事。
1つは間違いなく健康リスク、致死率は低いとはいえ特定の年代には高い
数値が出ており、家族を分断する。
もう一つは社会的リスク、この病気への罹患の仕方の評価であり
個人の信用問題に深層でつながっている事だ。
徹底的に対策をした上での罹患と、それを怠っての罹患の場合
後者は社会的な制裁(最悪離職などによる経済的困窮、村八分からの自殺など)を
受けることになる。
汚れと汚れの社旗を振りかざした日本社会において、目に見えないウィルスとの
戦いは物理的、科学的なものに止まらない。誰それはこのような状況でなぜそのような場所に行ったのか、危なそうだから近づくのを辞めておこう、と行ったメンタリティー
に早々となる、程度の差こそあれ必ずなる。パニックである。
●パニックが近づいてきていた。
思いの外COVID19が生活の周りに近づいてきてた。
友人は濃厚接触者となってからは自宅待機し検査の結果陰性であった。
罹患者が分かった3月頭から半年も経たずに近くに来たのだ。
そうなるとまさか自分の周囲が!ということで自分も含めて
今回自分とあった人間もパニックに陥った。
●責任
不要不急の外出をした時点で双方に責任がある。
不運を持ち込んだのが誰かは責任問題において実は関係ない。
不運を持ち込んだの東京の人でも、交友を多くしている人でも
その人と会うことを決めた個人にも責任がある。
個人間の罹患責任問題を論じるべきではないのがCOVID19。
何故こうなったのかということは「会っている」時点で言いっこなし。
今回この点を痛切に感じた。
●契約した上でフラット会う
言いっこなしの価値観が共有できる人と明示的にそれを確認した後で
限定的に会うべきで、それなしにフラットに不要不急が成立しなくなった。
不要不急が契約前提のお堅い出会いになったのだ。
●人との会い方が変わるので
社会が変わる。
罹患確率が高まってきて実際にそういう場にたって初めて気づけることなので
変化スピードはまだゆっくりですが確実に変わる。
分断が加速する。
地方と都会、富裕層と貧困層、家族世帯と個人世帯、高齢者と若者
●疾風に勁草を知る
こういう事態になったときにこそ人の真価が問われる。
肝に命じておこう、ピンチの時にどう対応しているか、できるか。
当事者の場合、第三者の場合でである。
本当に勉強になった。リトマス試験紙なのだ。
そしてこういう時の経験を脳は忘れない、味方と敵を。
COVID19下の暇な状況で、対岸の火事として今回の件を笑覧してもらうことはよかったのですが、自分もやるし。
しかしながら、当方及び他関係者が陽陰の結果に気を揉み、また濃厚接触者の定義など踏まえて社会的リスクの程度確認に骨を折っている状況で、準当事者の関係者に誤情報を流されたことは忘れません。
流布当事者については頭が悪いのか、悪意を持って愉快な魚にされたのかはわからない、詰問したところで、心配だったからと偏差値2くらいの回答と思いますが、価値観が明らかに異なることは理解しました、ありがとうございます。
事実の確認もなく、愉快犯的に誤認情報を流布されたことは絶対に忘れないし人間関係はリセットします。勿論大人の方法でですが。
●教訓は・・・リスク管理
確実な情報を限定的な関係者にのみ流していくこと。
リスク管理の概念が分かる人とCOVID19下では付き合うこと。
突然のことにパニックにはなるが、行動は起こさない。
落ち着いてから行動をする。
頭が悪いなと思っている人は緊急時は当然頭が悪い。
事実の確認と評価を踏まえた対策という考え方に乗っ取らないで生きてきている人と
この環境下では関わらない。
●見直しの時期
だから家も変えたいのです。全てを見直す時が来たと思ってます。
これまでの薄く広く人と関係を広げてその中で関係性が作られていることを
愛でる楽しみ方はもう終わりでいいのではないかと。
内省と内省と内省を実施継続して、価値観を共有できる人と限定的に会う
家族を基本としてできる仕事にベストを尽くし、内省をする生活で10年過ごす。
家族が巣立ち核家族に戻った時に新たな自分で積極的に広げていく時期でいいのでは
見直しの時期が来ていると思った。過ごす時間も、場所も、人間関係も。
●蛇足
学生時代の友人は見直しがかからないということだと思った。