礫の投擲 当たる

とある年長者からの指摘。


石礫。飾りなく心に落下。


[何がしたいのか?、雑過ぎる仕事の品質、]礫が相次いだ。


正直もうご一緒に飲むことは勘弁‼️とも思うが年齢が行く中での指摘はありがたくもある。


但し、納得感低いのはこの石礫が

余興的に投擲されてる感があること。人をコントロールできてる感の

確認、投擲者の確認。


投擲者も要は病んでるのだなとも思う。何かに抑えられているのか。


投擲の半分の目的は仲間探し、半分はストレス解消とかかな。

感謝はすれど、無理をして少なくとも私的には会わない。



投擲者が今後登壇するケースもあるだろう。圧倒的にやりきれるのか、支援をもらう型をつくるのか、はたまた、別の構造をつくるのか。礫の保持者としては傍観したい。

登壇する可能性を踏まえた関係性の維持はむしろマイナスか。礫を真摯に受け止める。まとが外れたら外れてる。


別だが、本人意図せず礫が相手に思いの外ダメージを与える様が昨日であった。酒に泳ぎ朦朧とした中での投擲はさぞ気持ちかろう。

私自身も無論経験がある。

ダメージを受けていた人がいるのだ

気がつかないうちにそうしていたのだ。


文章の粗雑、今迄何してきたのか?は礫としては正確。正鵠打ち抜いた。だから今書いてる。

別の年長者からは、使えるものだけ

使え、後は捨てろと教えられた。


その判断が人の大きさを決めるのであろう。