過去をどう意味付けたいか 結果個人にとって短期的に合理的な判断をしている。
◎過去発生した事
評価は自分がする、どういう評価としたいか→そこに目的があるはず。
過去◎◎だからいま△△だという話に因果関係はない。そうしているだけ
ではなぜか?
そこにある隠れた目的に目を向ける事で解決策は見えてくるORそれは知らなくてもいい事かもしれない、パルプンテかもしれない。
◎こんな会社だから働きたくない
っていうのは実は、就活に対して前向きに取り組まずにというか逃げていた事実を
そこから目を背けたいがためのツールであったりする。その場合やる気が無いってい方に対しての処方箋は仕事のやり方を始めとする、表層的なノウハウではない。
結婚したいけど金がないから無理だっていっている人は、結婚したいのではなくて今のままいたい、ただ自分は社会性もでてきているし、っていPRをうまくしたいだけ乃至は実は結婚したくないけど適当に理由があってラッキーとおもっているだけ。
◎思い立てば行動できる
行動すると、例えば1年間汚いままの部屋でも、ここぞという場面で彼女となるべき人を呼びたいとなれば、ごちゃごちゃいわずに、今何ができて、明日何ができて、彼女がくるまでに何ができるか、ギャップが有ればどう埋めるか?といういわゆる合理的な考え方になるはずだ。
◎そういうゾーン
に入っていない場合は何かが心をストップしている。それが何かを知る事は前に進む事。知りたいことだけではないが必ず要因は有ると思う。知らないだけ。
◎人と人とを繋ぐのは好きだ。
やっぱり知らない人、自分がイニシアチブをとれない、というかいずらい人たちと飲みたいとは思わない。やっぱりいつも小さな山を上っていたからかも。中程度の山ならいまならつくれるかもしれないね。園山を作る事自体が目的だから多分それ以上は大きくならないのだろーな。
まだ自分のプレゼンの場に近いし、自己承認の場でしかない。自己実現の場迄引き上げるには、自分にとってプラスの場が他人にとって明確にプラスの場であるコンセプトが必要だ。
山は大きくしたい、つながりを増やしたい、近く迄来ている。目的の近くまで。
何が自分の思考をとめているのか?