Sylvestre Coly,
彼が逝った。
それはFacebookという便利な文明が手軽に知らせてくれた友人の旅立ちでであった。
POSTを見ても要領を得ない。フランス語、セネガルの言葉、たまにスペイン語。
ただ、皆が一様に其の旅立ちを惜しみ、悲しんでいた。
私もだ。
彼との出会いは2002年のアフリカ、ケニア。
マサイマラ国立公園含むサファリツアーのメンバー。
そもそも大学を休学してアフリカを縦断する中での一瞬であった彼との出会いが
ここ迄心に残っているのは、彼の人柄のせいだろう。
衝撃を受けた。
彼の生い立ちに
知性に
そしてその寛容さに
何一つとして勝てないというか、其の土俵にすら立てないと感じた。
サファリのツアーは基本的に5名前後からなるグループで4泊5日程度
缶詰になる。
今はよく見るのかもしれないが、●◎ワゴンといったかたちで
様々な国の人達が
一緒担って旅をするスタイルとなる。
そんな中彼は際立っていた。
ドライバーとの距離の縮め方、一緒に乗っている人との距離の縮め方。
老若男女、国籍問わず
こういう風になりたいと
そう思った。
私の思いが通じたのか、身振り手振り+Z会の英会話で彼と話を通じ合い。
連絡先を交換し、彼の家に行き、其の後シンガポールにも来てもらった。
でもそこでコンタクトが落ちた。
Facebook上では年数回やり取りをしていたが、彼についぞ会う事が無く
先ほど其の知らせを見た。
言葉にならない。
喪失感がある。
涙が出る訳ではない。
年を取ったのか。
子供ができた事をいっておけばよかったな。
もう一度あって話したかったな。
もっと刺激を受けたかったな。
面白い話聴きたかったな。
彼と握手したかったな。
ありがとうって言いたかったな。
これから世代に君のような人を創っていきたいっていいたかったな。
淳は凄いよっていって欲しかったな。
日本に来て欲しかったな。
できないとなって初めて堰を切ったように色々出てくるのだね。
本当に腹がたつ
少しのお金をケチって
なんでおしゃぶりかってねーんだよあほか
基本中ん基本だよボケ、それがないからってねられないこれは人災
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子どもの御陰で、様々な因果関係の上に人が成り立っていることを感じる。
●●しかたら△△になるという方程式は甘い。そんな表層的な事ではない。
若い自分と対面できる日記の良さ。
語るまでもないし
人に言える程子供ができて変わった訳ではない。
価値観が、180度かわった!!とかは、表向きかもしれない。
ただ、何かは変わっている。物理的に子供とふれあった時に
自分はどうあるべきかという一寸の質問と、どうもこうもこうでしかない!
という厳然たる事実が並列してのみこまないといけんくて、多分だから
言葉にはできない。
恥ずかしくない人間でいたいとかも思うけど、なんだろう。
普通に人として話せる迄の過程に携わりながら、人になった?
というか言葉を介すようになったら先輩として意見したいし意見も聞きたい。
とかいってみる。
正直、親になった感覚など無い。
ただ仕草を見ると親であると思う。
父は親になるし、母は親なのだ。
とかいってみる。
どこまでいっても、責任感などなくて、吞み始めてて今ここに居るけど。
周囲が喜ぶ様が嬉しい今日この頃。そのちょっと後で、気になっちゃう自分が居る。
眠いならもうねとこうか?と本気で思う。
自己中心的は変わらない。そういう自分で、立ち居振る舞う。
振り返るという行為 3
●見せるところが無いから
本で読んだり、人から聴いたりしたことで「なるほど」
と思っても、身に付かない。
ためになる
と思っても、何のためになるか分からない。
なるほど具体的に使わない、必要に思えないから、其の知識を使えていないのか。
披露する場所が無いのか。
●これから
意図的にインプットしたものを披露する場をつくっていく。
振り返るという行為 2
●社会人初期で学んで今迄効果がある事
「しかられない程度に働く」
− 異常な事をやっても組織の力にはならない。組織の人としてはスーパースターではなく、次に来る人もきちんとできる状況をつくるというそういう話。無論手を抜くという話ではない。。
「無事是名馬」
− やっぱりうつになっていく同期がなぜかいた。コンナニある意味「楽」な仕事はないのであるが、一方で向き不向きというか人の巡り合わせ(地方で詰められるとついつい、、、みたいな)もある。能力もあるけどね。
「朝飯は朝食べて、昼飯は昼食べる、夜飯は夜食べる」
それぞれのステージでやるべきことをきちんとやっていくこと。
単調な毎日が人生を作っていく側面が強い。
ーー>最近の学び
上に関連して、ちょっと知っている方達に方々で過去からの歪みというか、
姿勢が悪いまま過ごしていた、其の都度やるべき小さな事を怠ったことで健康、仕事面で種々不備が出ている旨のそういう話を聞いた。
人は生活に駆逐されていくのである。生活の一挙手一同をだからなるべく疲弊の伴わないものにそうしていく事がスタートラインなのである。思っているより人は壊れやすいと、そういう事かもしれない。
振り返るという行為 1
検証
ある仮説をたてる、実行する、其の結果との差分を把握、原因を踏まえて
仮説を立てる。
しかしながら、ほとんどの場合意識をしていないと、検証ができない。
というか「仮説」を立てていない。
そんな前提で
大学の時に学んだ事は今何に行きているのだろう。
会社に入って最初の3年で学んだ事は何か。
この1ヶ月で学んで役に立っている事は何か。
振り返ってみようとすることは、仮説がなにであったか(何を使用としていたか)
知らずのうちに持っていた仮説が何であったかを知る手がかりになる。
欲望の育て方
●バブル期と言われる1980年代後半
周囲の成金にいわされて、様々な「自分なりの目標」が巷にあふれ
「もうけ話」が山ほどあった。
異常と知りつつ、友だちの友だちをたどれば確実に一人は成金が居た。
特に考える必要なく、お金はあるもの、増えるものという想定で
「普通のくらし」が「特に考える事なく」手に入る時代と、総括できた。
●バブルがはじけて
何が?不安定なのか当初は分からなかったが、これ迄とは違う
「考えないといけない」という時代が到来している事を肌で感じた。
ただ、雇用されている40代は、とはいえ大企業になればなるほど
危機感は無く、1990年代前半が過ぎた。
1997年山一證券がつぶれた。拓殖銀行がつぶれた。住専がもめた。
消費税が増額となり就職できなくなった。
資産インフレからの総量規制からの不況が家計に大きく影響をし始めた。
2000年代 ITと叫ばれて、数々の企業が起業し米国ではバブルがはじけた。
が、そもそも其の影響を受けるまでもなく不景気であった。
不景気とは何か。家計にお金が回らない事。消費が伸びない事。需要が無い事。
需要が無いのは欲望が無いから。というか生き伸びるという欲望が強くなったから。